やっていることは「設問で問われている部分を答える」であり、想像とかの入る余地のない、一対一の対応を読み取る作業なんだけど(なぜなら国語の「設問」はそのように設計されたものなので)、やってる当人は「だって、そうだからそうでしょ」くらいな解き方なのでフィーリングとか言ってしまう現象
— 九曜 (@navagraha_) March 8, 2018
上記のようなツイートを見かけた。
一連のツリーを拝見すると、国語が出来ない子がどうしてそうなっているのかということについての所見が書かれているのだが、読んでいて目から鱗が何枚も落ちるような心持ちになった。
読めば分かるので、ここではこの方の主張は割愛する。
子どもの頃、私は国語が出来た方なのだけれども、妹はとても苦手だった。答えはすべて文中に書いてある、読めば分かると教えても、分からない書いてないなどというのだ。
私はこれに対して、なんて阿呆なんだろうと呆れていたのだけど、それ以上教えようもなく(というよりも、読めば分かるので分からないことがよく分からない)、助けるのを諦めた。
多分、彼女は中途半端に文章を読んでしまって自分の先入観で文中にない答えをしたり、或いは自分の気持ちと作者の気持ちが混ざったり、或いは問題文そのものがわかっていなかったのだろうな。そもそも国語の問題ルールがわかってないなら、それは確かに試合のしようがないというものだ。
私にとっての国語のテストというのは、課題を読んで、文中に書いてあることを設問の指示に従って抜き出すという作業だったのだが、そもそこを理解してなくて、どこの何を聞かれているのか分からなかったりするのなら、それはとても大変な作業だろう。
ということを踏まえて、もし子どもが国語で躓いたなら、助けてあげられなかったとしても、困っていることはわかってあげたいなと思った。