埼玉県三郷市立彦郷小学校で「一人ひとりの読書傾向を先生が理解した上で指導」って – Togetter https://togetter.com/li/1242732 @togetter_jpさんから
上記の記事は、子どもの読書傾向を把握してあまり手に取らない本を勧めたりといった指導を行う小学校に対しての、twitterの意見をまとめたものである。
これを読んで、否定意見が多くてこういうのはなんだが随分とほっとした。
ここからはほっとした理由を述べるのだが、自分語りでしかないので読まなくて良い。気持ちの整理みたいなものだし。
子どもの頃、読書が趣味だった。
それはもう本の虫と呼ばれるほどに本を読み漁ったのだが、割と読む本は偏っていた。児童文学から入り、いわゆる文学的なものも嗜んだが、長じるにつれてミステリーやファンタジー、童話に神話、幻想怪奇やホラーなどのいわゆる大衆娯楽的な物語ばかりを好むようになっていった。
これを、周りの大人は嫌がったのである。
最初は読書をするだけで褒められていたのに、大きくなるにつれて私の読んでいる本を批判したり(一番多かったのが、そんなもの読んでも意味がないという言葉だったのだが、趣味に意味を求めるのはそれこそ意味がないのでは?)自分が読ませたい本をやたらと勧めてくる。それだけでなく、好みでない本を強制的に読ませ、読書感想文まで強いてくる。
読書が嫌いにならなかったのは、若干活字中毒気味だったのと、乱読傾向があったこと、それと並行して読めば趣味の本も認められたからなのだが、本当にもう何で強制してくるのか全然意味が分からなかった。
これがまだ自分の好きな本を勧めてくるならまだしも分かるんだけど、世間一般的に高尚とされている文学を勧めてくる(勧めてくる相手は未読)というのは、意味が分からないを通り越して若干の気持ち悪さすら感じる。
自分の勧めに従って良い本(とされている本)を読む子どもの姿を見て満足するというのは……なんというか言い表しにくいのだが、大人のエゴをとても感じる。
子どもを通じて自分の子どもの頃の夢を叶えようとする親を見た時の心境が一番近しいかな。
こういうことを当たり前のようにやってくる大人に囲まれていたので、こういう子どもの読書傾向を尊重する意見をたくさん目にするととてもほっとするし、子どもが読みたいものを自由に好きなだけ読めるように放っといてくれる大人がもっと増えれば良いなと思う。